夜
眠りたい時間にちっとも眠れない日が続いているので、晩御飯を食べた後、20時頃の眠気に身を委ねてみる。
目が覚めると2時。
そこから少し時間がたって今は3時を回ったところ。
明日、というか今日はもう月曜日なのにこんな時間に起きていていいのだろうか。
当たり前、とか普通、とか常識とか。そういう言葉も、そういう言葉を多用する人も吐き気がするほど嫌いだと思う一方で、どうして人として当たり前のことができないんだろう、と自分を恥じる瞬間がある。
幼い頃から、日常の些細なタスクをこなすことが苦手だった。学校でもらったプリントの管理、部屋を綺麗に保つこと、宿題......。
何故やるのか、説明されないままに課されるそれらに、何も考えずに取り組むことがどうしてもできなかった。
それらをやらない結果が自分にどう降りかかるかを考えても、自分には大して問題があるようには思えず、苦手なことは大人になった今でも苦手なままで、それなりに誤魔化すほうの技術だけは成熟したと思う。
しかし当時は所詮子供だったので、大人を騙すことはできず、当然のように母から怒られていた。
「どうして当たり前のことができないの?」と。
当たり前や普通や常識という言葉を借りて、人を縛り付けるのは簡単だと思う。価値観の形成されていない時期ならなおさらだ。
そんなものはない、と頭で分かっていても、結局自分のこと以外を理解することは到底不可能で、自分以外の中に共通の当たり前なんてものが存在してしまう可能性を100%否定するのは難しい。
うっかりはみ出してしまっているんじゃないか、と自分の立ち位置ばかりを気にして、自分の欲求すらも碌に捉えられない自意識が全くもって鬱陶しいと感じる。
深夜に起きていると余計なことばかり考えてしまうから、早く生活リズムを戻そう。
瓤嚢
みかんの薄皮を漢字で書くとこうらしい。
薄皮でええやんけ。
父の話
父親がブログこっそり書いていたことをふと思い出した。
確か、自分と兄の名前をごちゃまぜにしたユーザー名でやっていたよな......、と薄れた記憶をなんとか掘り返す。あった、あった、これだ。
ブログは2015年の9月を最後に更新が途絶えていました。でもtwitterで炎上したのをきっかけにSNSやブログをやめたの、ぼくは知ってます。ざまあねえな。
ちなみに、父親とはかなり折り合いが悪いです。どのくらいかというと、連絡先も知らない。(高校生の時に消して、そのまま)
父のブログの記事の多くは、やしきたかじんについて、百田尚樹さんが書いた「殉愛」という作品を巡っての話。(←これで井上公造とかメディア方面に喧嘩売りまくって炎上した。)あとは、教育とか社会とかそういうのが多かった。
ほとんど読む気はしなかったけど、「婚活(1)」という異色のカテゴリに目を引かれたので覗いてみた。
記事名は、「モテない男になるための10カ条」(えっなにこれ......)
ちなみに全部で12カ条書いてた。10カ条ちゃうんかい!
記事自体は、モテない男というか、人として気を付けないとな~という感じの内容でした。
例えば、「1.他人と比較したがる。」とか「7.自分の過ちを認めない。」とか「8.相手の話を聞かない。」とか。
ふむふむ、と納得しながら読んでいく。
人の話は聞かないわ、間違い指摘されても認めないわ、絶対に謝らないわ、というのが僕の中にある父のイメージ像なので、なんだかなぁ。
ただ、そんな父がこういう考え方を持っていたんだというのは、驚き。
20年ちょっと家族として過ごしても分かんないことばっかりです。
もう少し自分が大人になれたら、お互いの話なんかもできたらいいかな。何年先かはわかんないけど。
あと、欲を言えば、父にももう少し大人になっていてほしい。やたらとすぐ謝らせようとするのとか命令口調やめてほしい。
父よ、とりあえずそれまではせいぜいお元気で!
映画デイ
今日は「花束みたいな恋をした」を観に行くと心に決めていたので、とりあえず横浜へ出た。
メキシコシティを舞台に、違法な医療活動をする私営救急隊の姿を捉えたドキュメンタリー。患者への支払いの強要や警察への賄賂など、腐敗が蔓延る民間救急救命事業において、違法ではあるが例外的に患者に寄り添う一組の私営救急隊の家族に焦点を当てる。倫理的に疑問視される稼業を、人道的な視点で捉えた一作だ。
ロスタイム
3人分の食器を洗いながら余韻に浸っている。
張り切って天ぷらなんか揚げてしまったので、片づけが非常に厄介。洗い終わった食器を干すが、スペースが足りないので半分は明日の自分に任せることにした。
今日はNとKが家に遊びに来てくれた。
Nはしばらく仕事がはちゃめちゃに忙しいらしく、声のトーンからして、疲れ果てていた。あまりにも追い詰められているようにみえたので、今日が息抜きになってくれれば、と思う。あんまり生き急ぐなよ......という心配が半分と、置いて行かれているような焦りが半分。
2週続けて家に遊びに来ているのに、来週もくる?なんて誘ってしまった。あんまり押しつけがましくしないようにしなければ、とちょっぴりだけ反省。
Kは半年振りに会ったとは思えない図々しさでベッドを占領していた。「ごめん!」と叫びながら何の悪びれもなくひたすらごろごろ、だがこちらもそんなことを気にするほどの潔癖さも繊細さも持ち合わせていないので、心を許してくれていることにただ心底ほっとする。
なんてことを思い返していたら、KからLINEが。
乗る電車を間違えて帰れない、とのこと。
あほめ。ドジを踏むのは俺の役目ではなかったのか。
とりあえず今からチェックインできそう安いホテルを探して教えるが、電車で行けるとこまで行って、タクシーで帰ることにしたらしい。
そういえば、日記を始めたことをほのめかしたけど、なんとなく恥ずかしくてURLまでは教えられず。
完全な独り言もこのへんにしたいので、深夜の妙なテンションのうちに送り付けようと思う。
ルーチンワーク
1日が完全にルーチンワーク化している。
朝起きて、歯を磨いて、パンを焼く。その後コーヒーを淹れ(これはやる気のある時だけ)、だらだらと仕事に取りかかる。
仕事が終われば、気分転換にちょろっとゲームをしてから晩御飯を支度して、本を読んだりYoutubeをみたりして時間を潰す。
改めて文字に起こすと、なんとも面白くない。
日記を始めたのはいいものの、今の生活がこんなんだから微妙に書くことに困る。
.......というのは単なる言い訳で、今の自分には日常の細部を観察する眼が養われていないんだろうな、と気づきました。自覚しました。
ここ何年かでエッセイを面白く読めるようになって、結構な頻度で手にするようになった。ああいうのを書ける人はすごいなと思う。
多くの人が見過ごしてしまう些細な出来事を、その人の妄想力を駆使してわざと大げさにつっかかってみたりとか。ファーストフードの王者であるマクドナルドが、健康的なサラダを提供するなんて言語道断!許されるものか!!!みたいなやつ。
くだらなくて、つい笑ってしまう。
あと、これは有名ではあるが、さくらももこのエッセイは祖父をボロクソに書いてて面白い。友蔵のイメージと真逆である。ただ、ジメジメした恨みつらみではなく、あっけらかんとしているから不思議と悪い気分にはならないのだ。
生活は代わり映えしないし、胸が躍るような出会いもないから毎日を面白く過ごすのはなんともむずかしいけど、日記を通してちょっとの幸せがみつかるといい。
ああ、続くかなぁ......