1.7m

日記。

風鈴

スーパーの帰り道、汗だくになりながら自転車を漕いでいると、

どこかの家だろうか、風鈴のかん、かららんという音が聞こえてきた。

 

涼しい。

 

音が涼しい、というのはふしぎに感じる。

聴覚と皮膚感覚は何の関係もなさそうなのに、かん、かららん、という甲高い音を聞くだけで、汗が引くような錯覚さえする。

 

しかし、こどものころは風鈴の涼しさ、というのがまったくよくわからなかったような記憶がある。

 

風鈴の音が涼しいと言っている大人に対して、そう思い込んでいるだけだろう、とうっすら軽蔑さえしていた。

涼しさは音自体の力ではなくて、「風鈴は涼しい」という共通理解が勝手にそう思わせているだけで、馬鹿なんじゃないか、と。(今思えばほんとうに憎たらしい)

 

いつの間にか風鈴の涼しさを理解、というか実感するようになり、自分の何が変わったんだろうと考えてみる。

 

風鈴の涼しさにあれだけ疑念を抱えていたこどもが、いくら年を取ったからといって「風鈴は涼しい」教の信者になったとは考えにくいし、もし無自覚にそうなっていたとしたら恥ずかしいので、違う理由を探す必要がある。

 

なんだろう、と考えながら帰宅し、コップに氷をたくさんいれて麦茶を入れる。

すぐに冷えるように、指でかき混ぜたとき、

「あ、これか。」と腑に落ちた。

 

キンキンに冷えた麦茶や、ゆであがったそうめんをこおり水でしめるときの、こおり同士がぶつかったときに鳴る、あの音に風鈴の音はそっくりだった。

 

からんからん、という音が涼しいのは、この音にまつわる涼しい経験がそう思わせてくれているのだ。

 

多分、世の中には経験していくうちにわかるようになることがたくさんある。

そう思うと人生、楽しみでいっぱいだ。

 

 

以下、追記

「風鈴 なぜ涼しい」とネットで検索したところ、「風鈴の音によって風が吹いている記憶を想起させる」と書いてありました。絶対麦茶でしょ。