1.7m

日記。

25歳の原点

2022年7月15日、25歳の誕生日を迎えた。

25歳になった、ではなく、なってしまった。という実感がみぞおちの奥のほうからじんわりと上がってきた。少し吐き気にも似た、その実感。

 

誕生日を迎えたのにこんなに薄ら暗い気分になっているのは、おおよそここ3年間の無気力感が不安の原因だろう。

 

仕事は難しい、と思う。ただやることが用意されているわけではなくて、なにをやるべきか、考えたうえで仕事をつくらなければならない。

 

といっても、システムの導入という仕事はある程度決まりきった方法がすでに確立されていて、いかにそれを効率よく、あるいは確実に行えるようにするか、という観点が大事になってくる。

 

つまり、"やったほうがいい"を探してやるのが仕事であって、やらなかったとしても全体としてはそれなりにうまく回るようになっており、なんというかやりがいをうまく見いだせないでいる。

 

ざるを洗うとき、水がそのまま通り抜けてしまうような手ごたえのなさ。心もとなさ。

 

そもそも、選んだ職業も入った会社も、消去法的に、あるいは周りの人に見下されたくないという滑稽なまでの見栄と自意識で決めた。

 

結果、それなりの待遇で生活は保障されているけど、なんとなくやるせない。

 

もちろん、考え、やりがいを自ら発見して意味を持たせるのが仕事だ、というのが正論であることは重々承知しており、やりがいを感じない、なんていうのは単純な甘えだということも自覚している。

 

世の中がうまく回るには、さっき言ったような正論が必要なんだと思う。どんな仕事も誰かがやらなければいけないし、その上一人一人が自分に価値をみいだして幸せになれるならこれ以上win-winなことはない。

 

それを分かったうえで、こう思う。

 

今の自分の延長線上で、来た道をほんとうに誇れるのか。

誇って生きているフリをして生きてしまうんじゃないか。

 

就活生時代、うっすらとコピーライターという職業に憧れがあった。

理由は単純で、言葉で救われたから。言葉でなにかをしたいという、それだけ。

小説とかは書ける気がしないけど、短いコピーならなんとかなるんじゃないかという甘い考えもある。

 

コピーライターになりたい、という小さな思いは自分に残った数少ない火種だと思う。

この火種が燃え尽きないうちに、人生をかけるくらいの挑戦をしたい。

 

25歳としての抱負と、戒めを込めて。